LLMで論文を読む意義
LLMが発展してきて、もはや論文を読むという行為にはLLMがあれば何もいらない、という空気がでてきたと感じます。
確かにLLMの論文を読む精度は高く、とくにその要約において使い道はあります。
しかし「論文を読む」という行為は、必ずしも「論文を要約する」というわけではありません。
また、LLMに頼り切る危険性もあります。
今回は、なぜ「自分で論文を読む」能力を身に付ける必要があるか、紹介していきます。
論文を批判的に読むことは外付けの知識が必要
よく誤解されますが、論文を読むということは「要約すること」ではありません。
そもそも要約だけであればAbstractをみれば良いのです。「要約」なのですから。
そうでなく、論文で提示されている方法や結果の数値を、外付けの知識を持って解釈することが、「論文を読む」真髄と言えます。
例を2つ出します。
その方法は適しているか
Target Trial Emulationをした、という論文は世の中にたくさんありますね。例えば速読会で扱ったこちらの論文は、JAMA Internal Medicineという権威性の高い雑誌にのったものです。
AIにかければ、その概要を話してくれ、「〇〇といったlimitationがありながら、この研究では・・・・・ということが示された」とわかります。
しかし問題があります。
まず、「〇〇といったlimitation」がどれほどクリティカルなのか、という点。一般化可能性や残余交絡なんかは観察研究では必ず言われますが、それはそれとして、その他に「クリティカルなので論文の結論をそのまま受け入れられない」limitationが、かなりの確率であります。
これを発見して解釈することが「論文読み」の真髄なわけです。
例えば、上の論文では「assignされたtreatment strategyから外れた場合はcensorする」というtarget trialを念頭に置いていますが、そんなことは実際のRCTではおきえないわけです。これがどうしようもないバイアスを産んでいる可能性がありますが、そこまで現状のLLMでは指摘できません。
その数値は何を意味しているか
予防の研究にあるあるですが、アドヒアランスはとても重要な問題です。なぜなら、アドヒアランスが低ければ、当然介入の効果は得られないからです。
そのアドヒアランスは質問票でチェックされるのが常ですが、それにはバイアスが生じる場合が多くあります。
それより、アウトカムの変化をみて、アドヒアランスの確認をすることがよくあります。
たとえばこちらの論文では地中海式食事の介入をおこなっていますが、3ヶ月の体重の変化量が-1.5kgであり、コントロールの-1.2kgと比較しほとんど変化がありません。すると「この介入自体が成功したか」に疑問が出てきます。
介入が成功していなければ、そのRCTから得られる示唆はあまりないので、クリティカルなlimitationとなってしまいますね。
ここまでの読みは現状のLLMではできません。
将来も主要な研究の読みは人間の手で行われる
LLMが発展すれば上記のような問題はある程度解決する可能性はあります。しかし論文のニュアンスをどう解釈するかは背景知識によるところも大きく、ある程度subjectiveです。
しかしsubjectiveながら論理だっており、その読みに賛成するか反対するかという議論が大事になってきます。
これは極めて人間的なプロセスであり、今後もなくなることはありません。
特に、多くの人の目にとまるような論文(大規模RCTなど)については、LLM的な解釈だけできても、それはAbstractを読むことと大差ない=論文を読んだとは言えない、という話です。
なお、観察研究の理解はある程度の研究経験がないと難しい場合も多いですが、その努力に比して世の中に与えるインパクトは小さいので、そこまで意識する必要はないかと思います。
論文が読めると見える世界が変わる
大規模RCTの解釈は、自分の専門だったり興味ある分野において身に付けるべき素養と言えます。
これは研究者や医療職に限らず、ヘルスケア事業者や投資家を含めます。研究の解釈ができると、「科学的な医療(予防)がどのように成り立っているか」が理解できます。
これにより見える世界が変わるはずです。
参考になれば幸いです。ではまた!
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