論文を読むという知性
AIが発達して、どんどんいろんなことができるようになっています。
論文も、その内容を要約するだけなら、かなり高い精度でできるようになりました。
批判的吟味はまだまだですが、たぶん数年のうちにはそれも出来てくるでしょう。
そんななか、人間が論文を読むことにどんな意味があるのでしょう。
最近よく考えるようになりました。
論文は人間が書いているが・・
論文は研究者の集大成であり、「論文には人格が宿る」という格言もあるほどです。
論文、ときくと、とても客観的なもののように聞こえますが、実は「客観的な観察結果の解釈は主観的にならざるを得ない」というジレンマがあります。
そして、「何の解析をどのように行うのか」という点についても、恣意的な要素ばかりです。
だから論文はとても人間的です。
面白いのは、そんな人間的な論文をたくさん学習すれば、AIでも似たようなことができるということです。
AIに知性が宿っているのか、と聞かれたら、間違いなく「宿っている」でしょう。
そもそも知性をもつ人間が書いた論文を教師としているので。
だからこそ、だんだんAIができる範囲が広がってくるのでしょう。
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AIのよい用途は、面倒臭い作業をやらせることです。
自分の知らない分野の論文をスクリーニングするのは大変なので、AIに任せたいところ。
では、論文自体を読むという行為については、AIが適しているのでしょうか?
何のために論文を読むか
これを考えるにあたり大事になってくるのは、論文を読む意味です。
例えば:
・とりあえず知っておく
・自分の研究のアイディアを磨く
・自分やまわりの人、患者さんの生活に活かす
・投資に活かす
・自分の知性を磨く
など、色々あります。
断言しますが、「とりあえず知っておく」以外の意味において、AIに完全委託する意義はありません。
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例えば投資に活かしたい場合。
「ある治療薬の効果が示された」という論文が出ると、一時的に株価は上がるものです。
しかしこれは「論文を読む」以前のことで、誰でもアクセスできる情報なわけで、情報格差は生まれません(投資する上での優位性はありません)。
しかし、「それが本当にどのくらい効果があるのか」ということがわかれば、その治療薬がどのように使われていくか、ある程度予想を立てることができます。
この思考プロセスは一部主観的となるため、自分の考え方で論文を読むスキルが必要になります。
「読める人」と対話してみるとわかる
ここまでやや抽象的な話でしたが、実際に「論文を読める人」と対話してみると、一つの研究からどのようなことが洞察されるか、わかるはずです。
私は予防医療の分野については、ある程度深く洞察できる自信があります。速読会を通して、解釈には幅があり、ある程度論理立てて考察できることを紹介しています。
一方、あまりそのようなことに触れていないと、「論文=客観的事実」という誤った認識を払拭できないかもしれません。
あまりそのような機会のない方も、是非一度、気になる論文を、その分野の論文がきちんと読める人の意見を聞いてみてください。「論文を読む」という行為の解像度が増し、AIへの委託についての考えに影響するかもしれません。
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私は、AI時代だからこそ、論文を読む知性を育む必要性を強く感じています。
論文速読会は、そのような趣旨のもと、予防領域の論文を読むトレーニングの場を提供しています。
ご興味ある方は、是非3期生の応募(5月ごろ募集予定)をご検討ください😃
ではまた!